中世のヨーロッパで、旅人がある街を歩いていると、汗を流してレンガを積んでいる3人の職人に会いました。
旅人は、
「何をしているのですか?」
と尋ねました。
すると、その3人のレンガ職人は三者三様で答えました。
1人目は、
「見ればわかるだろう。親方の命令で“レンガ”を積んでいるんだよ。大変だからもうこりごりだよ」
と面倒臭そうに答えました。
2人目は、
「レンガを積んで“壁”を作っているんだ。この仕事は大変だが、賃金が良いからやっているんだ。」と。
3人目は、
「レンガを積んで、完成まで100年以上かかる“教会の大聖堂”を造っているんだ。この教会は多くの信者の心のよりどころとなり、完成したら多くの人が喜ぶだろう。こんな仕事に就けてとても光栄だよ」と。
3人のレンガ職人は、それぞれ
「レンガを積んでいる」という仕事は同じです。
役割や能力が同じであれば、賃金も同様であり、さほど変わりません。
しかし、
“志”
が違います。
働く意義
目的意識が全く違います。
1人目は、
志はまったくありません。
言われたからやる。
言われなければやらない。
“レンガ”しか見えていません。
2人目は
“生活のため”
に否応なしに働いている。
目先の完成物である“壁”しか見えていません。
3人目は、
「後世に残る歴史的事業に参加して多くの人を喜ばせるため」
という志を抱き、明確な目的意識を持って働いています。
100年以上先に完成する
“教会の大聖堂”
を意識して仕事に取り組んでいます。
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では2つの質問があります。
1つ目は、
『自分が家を建てるとしたら、この3人のうち誰に頼みたいですか??』
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『3人目から買いたいと思うのは、誰でも同じです。
ではあなたはあなたが行っている仕事でお客様から見て3人目の人のようになっていますか??
もしなっていないのならまず自分の仕事に対するスタンスを見直した方が良いかもしれません。』
2つ目は、
『自分がレンガ職人として働くことになった場合、3人の誰と一緒に働きたいですか??』
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『多くの方が当然3人目の人が良いと答えます。
しかし、「私の周りにはそのような人いないし…」と愚痴をこぼす方もいるでしょう。
そうではありません。
“あなたが”3人目の人になれば良いのです。』
雛鳥のように口を開けて、3人目の上司や先輩は誰かいないかなぁと待っていてもいつまでたってもあなたの目の前に3人目は現れないかもしれません。
もしあなたが3人目と一緒に働きたいのであれば、
まずあなたが先に3人目になるしか方法はありません。
あなたが3人目として職場で振舞えば、
あなたの職場の仲間は3人目と働ける幸せな方になります。
そうしてあなたに影響を受けた職場の仲間の中からきっと3人目の人が現れます。
それは回り回ってあなたも3人目の人と一緒に働けることになります。
これがあなたが実現できる最短の方法です。
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【他責思考】ではなく、【自責思考】
【暗いと不平を言うよりも自分で明かりをつけましょう】
環境を変えるのは常に自分であるということ。
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最後に、
続きですが…
3人の10年後の話です。
1人目は、
10年前と同じように面倒臭そうに愚痴をこぼしながらレンガを積んでいました。
2人目は、
もっと条件の良い仕事は見つかったものの、危険を伴う教会の屋根の上で仕事をしていました。
3人目は、
いろいろな知識や技術を覚えたため、現場監督として施工を任されるようになり、多くの職人を育てました。
のちに出来上がった大聖堂には彼の名前が付けられたそうです。
あなたはどの生き方を選択しますか??
